メンタルモデルアカデミアとは?
メンタルモデルアカデミアは、スーパーハッピーな現実が生み出されるテクノロジーを、地球より遥か進化した異世界の超生命体に学ぶオンラインスクールです。
具体的には、“メンタルモデル理論”を通して、豊かさの源泉となる次世代の資産“エンパシー”を身につけることができます。
「自分とは何者か」という随分昔から人が考えつづけてきた問いに、数多の正解らしきものをすぐに差し出してくれる情報社会。 今や多くの人が分析的・論理的な情報処理のスキルを身につけて「他人と同じ正解を見出す」ことが当たり前となった現代を私たちは生きています。
だからこそ、簡単に処理ができないモヤモヤした違和感こそがとびっきりの進化の種です。
ここで身につけられるのは、外の正解に手を伸ばし続ける戦い方ではなく、自分のなかにある感情や感性を土台に「自分を大切にする」誰とも争わない“戦い方”。
もう自分のことなんて分かってる、つまり自己理解なんて飽きちゃったという人も体感として気づくはずです。
自分の可能性、舐めちゃダメだなって。
メンタルモデル理論とは?
メンタルモデル理論は、本校学長べーやんのふるさとである“愛とつながりの世界”で誕生したソーシャルテクノロジーの結晶です。
誰も争ったり傷つけあったりしない世界であり続けるため、ベーやん学長の世界の住人は、メンタルモデル理論を通じて自分の痛みの扱い方を熟知することで成人を迎えられるそうです。
地球上でメンタルモデルといえば、認知心理学用語として用いられたり、『学習する組織』(ピーターセンゲ著)のなかでは「無自覚に持っている思い込み・信念」と定義されていたりします。異世界の『メンタルモデル』は、これらのメンタルモデルとは異なります。
人は誰もが、外の世界に適合する過程で必ず“○○がない”という心の痛みを体験します。異世界の『メンタルモデル』は、この心の痛みを回避する目的で幼少期に生み出される無自覚な欠乏・欠損の内的世界観を指します。私たちは、心の痛みの取り扱いについて無知であるがゆえに、本質的に痛みを避けることしか考えません。幼少期に二度と心の痛みを味わわないように作り上げられた「しょせん世界は○○だ」「どうせ私は○○だ」という無意識の『あきらめの判決』を、異世界では『メンタルモデル』と呼んでいます。
メンタルモデルを自覚することによって、痛みから逃れ続ける人生に別れを告げ、情熱とも呼べる願いから生きることができるようになります。
エンパシーとは?
メンタルモデルアカデミアにおける“エンパシー”は、他者の経験を自分自身に取り込む共感とは少し異なります。
共感は、友人・家族・社会を健全に機能させるために欠かせません。しかし他者の苦しみに過度に同調することで、自分のものではない苦しみに囚われて手放せなくなってしまうこともあります。トラウマや燃え尽き症候群といったものも、共感による疲労が大きく関係しています。
今の私たちに必要なのは、もっと自分を大切にする術を知り、他人に自分の価値を明け渡さない人生を歩み始めることです。
だから、耳を塞いできた『心の声』に従う術を学び、自分のあらゆる本心と出会い直していく。
“エンパシー”は、自分の真実とつながることから、心を消耗せずに他者とつながることができる知的技術です。
外側の世界=内側の世界!?
#降りていく生き方
散々言われているように、自分を理解するということは大切です。そして、難しい。
人の内側には様々な思想や感情、欲求と信念といったものが入り乱れており、どれも目には見えません。この複雑性が人間を矛盾を孕む存在にしています。
人とつながりたいのにつながるのが怖いから人を避けるといった相反する想いを抱えられる生き物は人間だけです。願いや恐れが曖昧になって自分でも自分のことがよくわからなくなり自己嫌悪に陥るといった体験は誰にだってあるのではないでしょうか。
メンタルモデルアカデミアにおける自己理解とは、行動をつくり出している内面にある感情から信念、そのさらに根元にある痛みまで降りていくことです。“ない”という痛みと”ある”という願いの間に立った時にようやく、自分が本当はどうしたいのかという選択を湧き上がる意思の力で掴み取ることができます。
何にも縛られない本当の意味でつながった調和の世界を自分の内面につくれたら、外側の世界は必ずそれに応えてくれます。
コンプレックスで輝け
#弱さは隠すな強さは曲げるな
「自信がないから必死に評価を勝ち取る」というレールは束の間の自己肯定感だけでなく、標準から外れる恐れや焦りももたらします。でも、いざレールから外れてみると意外とホッとしたという人も多いものです。
誰かが決めたレールから外れたところで人生はゲームオーバーになったりはしません。不可測な体験の連続である人生で本当に必要なのは、あるがままの自分を信じてあげられる力です。
凹みを埋め凸の出っ張りを最適化するのではなく、凸凹を受容し伸ばしていくこと。どうしたって適合できなかった部分にこそ、眠れる異能のヒントがあります。
社会を変革する凄そうな人だって大体、かつては社会に自分を合わせることができなかった痛みを体験した人です。また、自分の凹は他人の凸を活かせるつながりにもなりえるってことも受容が教えてくれることの一つ。
誰の振る舞いも善悪で裁かない丸く尖る生き方は、見たことのない新しい景色に連れて行ってくれます。
つながりを諦めないために
#意識高い系ちゃう意識深い系
私たちはしばしば他者の自己中心的な態度に絶望します。そして、孤独を深めます。メンタルモデルアカデミアでは、この”自己”という仕切りをもう一度深く掘り下げていきます。私たちは”自己”を個人という単位で区切りますが、家族やコミュニティ、社会といった大きな単位にまで自己の意識の輪を拡げられると自己中心的という言葉も全然捉え方が変わります。どんな体験を機に私たちは”自己”を規定したのか、その時の痛みを感じ尽くすことによってつながれる他者や世界も拡がっていきます。
自己の意識の範囲が拡大が生むのは個性の喪失ではなく、むしろ多様な集団の中でそれぞれ特有の才能を引き出し合う個性の爆発です。
いま直面しているのっぴきならない危機も邪悪な敵や悪の化身のせいではなく、私たちの習慣や関係性、個人として何を優先したかによって運ばれたのだから、私たち自身が変えていけます。だからこそ誤魔化さず、つながれなかったものに意識を向けることは進化に不可欠な一歩です。
キャラクター キワモノ名物講師陣
進化した地球人の声
私を満たすのは私の役目
物心ついた時から[自分には何かが足りないのではないか]という不安感をずっと持っていました。
誰かの真似をしたり、勉強したり、何かを外側に付け足していくことで、いつかきっと双六の“あがり”のような、安心があるに違いないと思っていました。でもやってもやっても一瞬の安堵とともにまだ先があるのかと落胆する日々。
そう、メンタルモデルは、"あがり"の日はこないのだ、を教えてくれた。
同時に、そんな必要もないのだということも。
どんなに外側を武装しても、充足はやってこない。
私が私を満たすだけ。
そのときから、何者でもないわたしは安心を感じはじめています。
女性/40代/教師
自分を見失ってたどり着いたこと
僕は自分のことが全くわかってなかった。いい人になったし、いろんなものを手に入れてかなりイケてる自分になった。でも満たされるどころかさみしさだけが募り、自分がどうしたいのか全くわからなくなってた。
そんなときメンタルモデルに出会い気がついた。僕は本当にはなりたいと思ったことがないもの、手に入れたいと思ったことがないもののために僕を失っていたんだ。ありのまま愛されたかっただけなのに、ありのままの僕自身を代償として愛されようとしてたんだって。
男性/40代/企業経営者
“重い”と”想い”の違いを知って
近しい人を好きになり過ぎて、繋がりを感じられない寂しさを常に抱えて生きてきました。特にパートナーシップでは、「今度こそ受け入れてもらえるかもしれない」と期待し、重いと離れられて傷付く、というパターンを繰り返してきました。自分の愛は隠さなくてはならないと思っていましたが、メンタルモデルを学び、愛情の深さはむしろギフトであると認識できるようになりました。以前より自然な愛情表現をするようになり、自分自身に安心感を持てるようになりました。
女性/30代/キャリアカウンセラー
アウトプットの幅と深みは自己理解と受容の繰り返しから生まれる
メンタルモデルの学びで思い出した一つの体験があります。
急性の腸破裂に見舞われた幼い私に両親は「すぐに退院できるから」と言いました。
その言葉と表情のズレを敏感に察知しながらも気づかないようにした私は子供のふりがうまい子供だったんだと思います。
気持ちを押し殺して振る舞う癖の原型と両親との埋まらない溝の始まりはそこからだと認知できたのは私にとって一つの救いでした。
気持ちに仕切りをせず生きられるようになった今は、少しだけ自分を好きになれた気がしてます。
自分をゆるせるようになったからなのか、仕事のアウトプットや表現の幅が格段に変わり、アイディアが毎日湧き出て困っています。笑
アイディアの源もやはり自分の中にあるようなので、引き続き自己探究と表現は諦めないように続けていきたいです。
男性/20代/作家
“有能さ”の証明という戦いを私はいつまで続けるのか
今思えば私の人生はずっと、「自分が有能であることを証明し続ける」為の人生でした。幼少期に創り出した「有能でなければ愛されない」という信念(思い込み)は、私の思考や行動、更には人生までをも無意識に制限し、私を不自由にしていました。しかしメンタルモデルに出会うことで、私は自分自身に対して「どんな自分も愛しい」と感じることを赦すことが出来ました。結果として、以前の強迫観念的な恐れをベースとした人生ではなく、愛をベースとした豊かな人生を送ることが出来ています。
女性/30代/IT企業会社員
まだ許せはしないけれど、もう憎まずに済む
メンタルモデルがなければ、あの人との別れも、理解に苦しむ同僚の言動も、コロナ禍で分断されてしまった親友との距離感も、そして私を産んで育ててくれた親への言い顕しようのないこの感情も、全て歪んだ認知のなかで、ずっと反応の世界にいながら、もがいていたことでしょう。
負の感情の裏にある自分の願いに気づくことで相手の理解につながり、二度と人を憎まなくなってからの日々は、本当の人生スタート1年目という感覚です。
女性/30代/外資系企業勤務
人類への推薦図書
無意識がわかれば人生が変わる - 「現実」は4つのメンタルモデルからつくり出される
2020年5月(ワニプラス)
前野 隆司、由佐 美加子
普段本を読む機会がそんなに多くなかったり、びっちり並ぶ文章はちょっと苦手な人におすすめの書籍なのだ!
「メンタルモデルって?」という問いから対談形式で進んでいくから、なんだかラジオを聞いてる感覚ですやすやと読み進めていくことができる。幸福と意識、それぞれのアプローチで人間を探求している二人から飛び出す考察の数々がとても示唆に富んでいる。
吾輩が特にふむふむと感じたのは、人間の知性とクジラや象の知性の違いについて話が及んだ点だった。脳の大きさとその複雑な構造から人とクジラとゾウは地球上で最も高度な「知性」をもった存在とも言える。
「攻撃的な知性」に偏った人間が痛みを統合した先にある知性とはどんなものなのか。
統合の先にある「受容の知性」の片鱗をクジラとゾウは命のままに体現しているのだなあとしみじみ感じたのだ。
多様な考察のもとに出来上がったこの本も、多様性を受容する著者二人が紡いだからこそ心地よく読める本に仕上がったと言えよう。
あ、ちなみにあっくんに「吾輩は地球の何の動物に似てるか?」と聞いてみたら、「スポンジ」と即答されたのだ。
By べーやん
ザ・メンタルモデル 痛みの分離から統合へ向かう人の進化のテクノロジー
2019年8月(内外出版社)
由佐 美加子、天外伺朗
本には読んでいて疲れるものと疲れないものとで二種類ある。
「デデデデーン!」というオノマトペが当てはまりそうなこの本は間違いなく前者に分類される。読み終えた時に充実感と共に疲れも訪れる理由は、独特の臨場感がこの本の中には散りばめられているからだろう。
痛みを紐解く人間と痛みに触れられる人間が交わす言葉のやり取りには、映画を見るに近い固唾を飲む感覚さえあったりもする。良ければ、読み進めていくうちに生まれた自分の中の反応を味わってみて欲しい。
すんなり読み終える感覚が強いなら、どこに特に感じる力が強く働いたのか。違和感を感じたなら何に抵抗があって、本当はどうあるべきだと考えているのか。そのために自分は普段どう在ろうとしていて、それはいつからのものなのか。そういった自分の中から湧き出るものを感じるという体験こそが真実だから、ぜひ感じてみて欲しい。
ともかく!活字の海の中で漂い、未知の情報へ深く潜って人間の意識を探索してみたいという変な人にぴったりの書籍なのだ!
メンタルモデルの理論と実践を深めたい方は、ぜひメンタルモデルアカデミアであっくんと一緒に学んでみて欲しい!
ひねくれたあっくん以外の人とも喋らないと吾輩までひねくれそうである。
By べーやん
異世界交遊記
メッセージ
人知れず傷ついた痛みを、記憶は決して忘れてはくれない。
小さい時のいつだったか、ひとりだけ電車に乗り遅れたことがある。
本に夢中になっていたボクは、ガタンと目の前の電車が進み始めた拍子に顔を上げた。
乗り遅れたボクに誰も気づかないで皆は仲良く隣の駅に行ったんだと悟った時の、
あの小さな絶望を表すことばは未だに見つけられていない。
唯一、一緒にいてくれたのは、
「ボクは隣の駅には行けない人間だ。」
というぽっかり穴の空いた心から響いてくる教訓だけだった。
あれからずっと、二度と乗り遅れないように生きてきた。
そんな傷つかない生き方ですら、
すべてから守ってくれるわけではないことに気づいてしまったからボクはここにいる。
市場に評価されるスキルも耳障りのいい言葉も並んでいないのは、
ここが隣の駅に行く方法を教えるような学校ではないから。
ここは最初の駅でうずくまっている子供を迎えに行くような学校なんだ。
自分探しは無駄だと笑われ、自己啓発はもはや死語だけど。
自分を見つめた先にある痛みをなかったことにするなんて許してはいけない。
だからボクはここで、
痛みにうずくまった自分を
迎え入れると決めた。