「今の世界の”正しさ”に人の痛みを癒す力はない」
ザ・メンタルモデルの著者 由佐美加子と超生命体べーやんが語る“人間の進化”(後編)
2020年10月19日
メンタルモデルアカデミアの学長であり異世界から地球にやってきた超生命体ベーやん氏。1000人を超える個人セッションから人間の内的世界の構造を見出したメンタルモデルの第一人者由佐美加子氏。この一体と一人に”人間の進化”をテーマに語り合っていただいたのが本記事。
後編は、コロナウイルスがもたらした人間の意識の変容、親と子という関係性、分断の根っこにある人間の”正しさ”など幅広いテーマが詰まっています。
前編はこちら
- -創造者であるクリエイターと適合者であるアダプター、興味深い言葉が出て来ました。どっちになりたいかと問われればクリエイターがいいなと思うのですがどうしたらそうなれるのでしょうか。
ウイルスという外的な要因によって世界が混沌としている今、さまざまな変化の中でなす術が無いと日々無力感に駆られる人も多いのではないでしょうか- -
人間が自分の感覚とつながって外側の世界を認識する、これがはじめて"自分の軸で生きる"ということである。
誰かが言っていることを鵜呑みにするのではなくて、自分の内側で外にあるものを感じてみる中で自分を理解していくこと。それを軸として、誰のものでもない自らの意志で選んでいく。これがクリエイターの基本だの。
人間がクリエイターとして自分の意志に目覚めたら、この世界は全く新しいものとしてアップデートされるであろう。
それぞれの人間の内側にある願いは現実になるのか?ということすらイシューにはならぬ。
つまり、それを達成できるかどうかが目的にはならぬということだの。
ただ”あるはずだ”という情熱につながって創り出そうとするそのプロセスを生きる体験こそが人間の成長であり、進化なのだ!
人間はただ体験するために自分にあるものを表現を通してわかち合うっていうshareの世界に入っていくと思うのね。
誤解されがちだけど創造ってさ、外側に何かものを創ることではないと思うのよね。
あるものを感じてそこから正直に自分を表現してわかち合うっていう「体験」を創造している、ってのが人間の本当の姿だと思うの。
だって私たちはそもそも、他の命からたくさんのものを受け取って自分の命がここにあるんだからさ。
人間だけがずっと奪うばかりで与えることも分かち合うこともしないっていうのはおかしいよね。
これはクリエーターとしての意識が生まれると自然と感じられていくものである。
自分は十分ではない、十分に持っていない、という無自覚な怖れは生き残るために強くなってより多くのものを手に入れようと駆り立てる。より多くを手に入れるために生きる、というのはアダプターの歪んだ姿だの。
”自分さえよければいい”という分離した自我に支配されておるのだろう。きっと”自分で生きなくては”という意識も強いであろうな...。
奪われる怖れがあるゆえ奪って独り占めしようとする。そこには与える力もわかち合う力もないのだ。
そもそも生きているだけで既にわかち合われているという意識が希薄であるゆえに、本当はあらゆるものとつながっており生かされているという感覚もピンとは来ないのではなかろうか。
アダプターの根っこにある駆動力はすべて”怖れ”であろうからの。
私の夢は、人間が命が溢れているこの世界の網目をぶっ壊す存在じゃなくて、すべての命が健全にこの地球っていう空間で共存していくために自分たちの力を知的に使える存在に進化すること。
命と命の間に綻びがあったなら繋ぎ直せるような知性が、私たちには本来備わっているはずだと思ってる。
痛みを感じ取れる感性と卓越した思考力を統合して知性として使えるようになれば、その先にある人間の姿は奪うことしか考えられないような存在じゃない。
だから、一人ひとりが自分の内側にあるポテンシャルにつながらないといけない。
その一歩目は人生にある痛みを受け入れてその裏側にある自分の魂のミッションに気づいて、願う世界を生きる力に変えていくこと。痛みってもの凄いパワーだから。痛みに抵抗する力の使い方じゃなく、痛みの裏にある願いを表現していく創造の力に変わるといいと思ってる。
そこにある情熱とつながることが大切だの。
痛みを避けるための駆動力ではなく、創造性として使って意志を持って選び取ってゆく。
愛から自分の人生を歩むとはそういうことだの。
- -興味深いですね。それじゃあ、宴もたけなわではございますが今日の対談はそろそろ...- -
- -ベーやん学長の活動制限時間が迫って来ているので...- -
いつも吾輩が言っていることにいちいち突っかかってくるあっくんとばかり話しておるし、こんなに沢山お話ができるのはとっても楽しいのだ!
由佐殿もまだ大丈夫であろう?
では、ちょいと質問なのだ!
そこまで人間の意識を研究して願っている世界も明確にある由佐殿にはどんな怖れがあるのだ?
そもそも私は人間への絶望から始まってるから。
でも、何だろうな...
私の一番の怖れは息子がこの世界からいなくなるとかってことかな。
インタビュアーを無視して勝手に話を続けるベーやん学長
私の人生の前半の行動パターンとしてはさ、『大切な人を守るためにとにかく力をつける』って感じだったの。
家族は自分にとってはすごく大きな存在で、守れなかったらどうしようという怖れが強い。
例えば、私が死ぬより先に自分の息子が死ぬとかっていうとそれを経験するなら死んだ方がましだって感じになる。
それに対して、私は『何かあったらどうすんのよ、頼むから自分の体のケアくらいはしてよ』ってめっちゃイラッとするわけ(笑)
でも、そういった反応の奥にあるのは息子の命をとにかく守りたいっていう生存本能があって、すっごい怖れだよね。
この怖れはずっと感じ続けてるけど、まあなくならない。
それくらい自分にとって大切な守りたい存在がいるってことは有難い話だけど。
自分の体験の中に実体として"ある"ものを感じきると、怖れはそれと共存できぬ。
逆に感じようとせず、それについて思考をするとますます怖れは肥大化する。
そうすると不快感でまた分離したくなる衝動が強まるから、怖れと不安は直視するに限るの~。
どんな体験も不満で終わらせるのではなく、何を大切にしたいと願っているから反応しているのか。そこを気づくための理解に変えられるのは由佐殿自身が人の内側を扱って来たからであろうな。
痛みの回避行動から生じる人同士の戦いと二元論が生み出す分離はもう限界を迎えてる。
平和をもたらしましょうって言って人はいつも戦いに行くじゃない?
環境活動とかもそう。経済優先ではなく環境に配慮しましょうって言って結局また戦うんかい!、って。
抵抗活動にもううんざりしてる感じもあるんだよね~
外側の世界で何か運動を起こしてももうダメだと感じ取っておったはず。
『こうあるべきだ』と皆んなが合意してるおのに実際にはそうならないのであれば、もう内側の世界しかないという結論を出したわけだの。
色んなムーブメントを起こしたり活動していたりと”良いこと”をするじゃない?
それも善意から。だけど、いつもそれが正しいことになっていて、それと合わないものと分離して戦い始めるっていう同じパラダイムにハマって戦いに堕ちていくのが、不毛だよねって思っちゃう。
善意から生まれる”正しさ”ほど厄介なものはないと吾輩は思う。
今、この世界で起こっている戦いに正義vs悪なんてものはほぼないのだ。
あることを”正しい”と思い込んでいる人間は同時に”正しくない”も生んでおる。
そして、その“正しくない”ものを”正しい”と思い込んでおる人間も世界の何処かにはおるであろう。
それぞれが正しいと思い込みたくなるその奥にあるものをわかち合うことができなければ、正しさ VS 正しさ の戦いの構図は永遠に続いてしまうのだ。
吾輩からすると、なぜ人間はこんなに二元論とやらを握りしめて離さないのか不思議で仕方がないのだが。
ともかく“正しさ”に酔うのは非常に危険だぞよ。それに、正しさに人の痛みを癒す力はないのだからの。
不快だからといって”正しくない”ものを排除する。自分は”正しい”と思い込みながら『こうあるべきだ』を繰り返した先に待っておるのは終わらない悲しみの連鎖だの。
“正しい”って認識したら、それ以外のものと分離してしまう。
だから、さっき質問で『人間の進化には、自分の内側をみるということが必要不可欠だというのがありますよね?なぜそれをしなければならないのでしょうか?』って聞かれた時に「別にしなくてもいいんじゃない?」って答えたの(笑)
”正しい”とか”こうでなければならない”にハマらないようにいつも細心の注意を払ってる。自分が見出しているものや表現は大切にしているけど、それに執着をもたない、が鍵だと思うな。 メンタルモデルを通して、今日まで色んな人から人生を分かち合ってもらったけれど、やっぱり起こることって必然的に起きてるんだよね。
無意識の奥底に諦めきれない願いがある。だから、何かしらの出来事を自分自身に体験させて、無自覚にある願いに気づかせたいんだねって。本当に感動する。
起きた出来事がその人にとってはどんなに不本意だとしてもね。
そこに対しての理解は、ないよりもあった方が単純に幸せなんじゃないって思ってるからやってるだけなんだよね。
パタッ
調子に乗って喋っておったら時間切れになったのだ。動けぬ...
イダっ!あっくん!尻尾を引っ張らないで欲しいのだ!
強制退場させられるベーやん学長
- -...ベーやん学長、無事に帰れそうですね。由佐さんも今日はありがとうございました!- -
酔っ払い亭主を迎えに来るしっかり者の奥さんみたいだったね(笑)
最後にベーやん学長は尻尾を引きずられながら退出し、由佐さんは温かい目で手を振っていました。
さて、そんなわけで異世界からの超生命体と人間の無意識の探求者の対談はいかがでしたでしょうか。
様々なテーマが飛び交いましたが、共通の土台にはこんな前提があったように思います。
- 人の内側にある信念が外側の世界を創造している
- 自分の内側にある痛みを受け入れられたら、それは願いや情熱に変わる
- どんなに自分にとって不本意な出来事でも理由なく起きているのではなく、自分の命が何かの気づきをもたらすためにその体験を創り出しているという見方ができる
- ”正しい”も”正しくない”といった二元論ではなく、どちらもある、どちらでもいい、そこから意思で選ぶ、が進化の鍵
メンタルモデルアカデミアでは自らの意志によって現実を創り変えていくための智慧をわかち合っている学びの場です。
ここにあるのはハウツーやスキル習得といった外の正解に手を伸ばし続ける戦い方ではなく、自分の内側にある感情や感性を土台に「自分を大切にする」誰とも争わない″戦い方″。
ベーやん学長が自ら内的世界を伝え、由佐美加子さんが監修を行いカリキュラム自体もアップデートされ続けています。
この記事を読んでくださった中には、現実に翻弄され一人で痛みを抱えて生きてきたという方がいるかもしれません。
孤独に耐え、誰からも理解されない体験の中でもがいてきたような方もいるかと思います。
メンタルモデルアカデミアは、それでも人生を諦めたくないと焦がれる方をお待ちしています。
ここから、その痛みを願いに変えましょう。
特に興味深いのは、与えられる情報を鵜呑みにするパターンがもう限界だよと突きつけられていること。
特にコロナ周りに関してこれだけの情報量が溢れかえっていると、何が正しいのかという合理的な判断はもうできない。テレビではこういう風に言っているけれど、webメディアではこうだと書かれている。
YouTubeではまた違う情報が発信されているし、実績のある研究者がSNSの個人アカウントでメディアには出ていない情報と見解をシェアしてくれていたりする。
だからこれまでの画一的な"正しい"であろう情報を疑いもせず丸呑みするのではなく、多様な情報の中でどの情報を信じるかは個人の認識によってまるで違うものになってるよね。
つまり、外側のどの情報を採用し、何を現実と認識するかは全て自分次第であるということがハッキリしたと思うのね。
だから、情報に対しては自分の内側の感じる力で『これが私の中にある真実に近い』という感覚に頼るしかないっていう時代に切り替わったなと思ってる。